静かな粉雪が降り頻る夜道を、駆けていた。
はつらつとした走りの割りには、哀愁帯びた総統。
「財布の落し物はありませんか?」
何度、口にしただろうか。
どこで落としたかもわからぬ財布を、行く店々で探し回っていた。
およそ5,6時間前には、確かにあった。
どこかで落としたのだろうか。落としたとすれば、どこで落としたのだろうか。先の見えぬ葛藤を、繰り返す。
答えを何も出せぬまま、ついには思い余り家を飛び出した。
行くあてなどは無かった。ただ、外に飛び出れば何かが変わる。安易だが、そう考えた。
先日より積もった雪。幾重にも、まるで財布を覆い隠さんと、寄り集まっているようにも見えた。
数時間、歩き回った。こんなことをしてていいのかと言う忸怩たる念も確かにあった。それでも歩くしかなかった。
歩きつかれ、薬を取り扱う店に入った。
どこの道端で落としたかも知れぬが、どこかの店で落とした可能性もまた、少なからずあるのだ。
落とした日付は今日。それは、わかっていた。そうなると、探す店というのもまた、決まってくる。
「ツルハ・・・・、セリア・・・、マックスバリュ・・・」
迂闊だった。今日行った店は、10を数えていた。
セリア、マックスバリューなど数店を回り、ツルハに着いた。
入る。刹那、自分の中の武が騒いだ。
「いらっしゃいませー」
やる気、心すら篭っていない出迎えの言葉が響く。
「あの、財布の落し物はありませんか?」
物腰柔らかく、媚びるように言った。
「落し物はないっすねー」
鼻についた。許されるのなら、地に叩きつけてやりたい。
「あ、そうですかありがとうございます・・・」
また物腰柔らかく、丁寧に言った。感謝の言葉であって、感謝の意味は篭っていない。
「はぁ・・・」
槍で立ち合えば、このような無礼な輩を容易く突き殺せるだろう。しかし、それが勝ちに直結しない事を、総統はわかっていた。
聞こえないようなため息を一つ。店を後にした。
午後9時、総統は自宅に戻っていた。
「どうしたんだ?」
父が玄関の先に待ち構えていた。
「財布の消息が掴めない」
「落としたってことか?!」
「言い変えるのならば」
あえて、曖昧な返事をした。こうすることで、非難を出来うる限り避けようとした。だが、その醜い魂胆は隠せていなかっただろう。
「冷静に考えてみろ。」
父が放った言葉に、ハッとした。思い返すと、恥ずかしく思えた。
財布を失くした事に焦り、ただひたすらに地面を凝視しながら歩いた。
よく考えてみた。財布を落としたと気付いたのは、駅から向かったゲオの中だった。駅にいた時点ではあった。ゲオに行く間に7つの店に入った。どこで落としたかはわからぬが、位置関係を考察すると、自宅からゲオの間にある事はまず考えられなかった。
「探してくる」
言い残し、総統はまた、家を出た。
その目には、さっきまでの奢りや焦りは宿していない。確信にも似た表情だった。
家を出たところで、電話を取り出した。
「もしもし、北広島市交番です。」
かけた先は交番。出たのは若い婦警だった。
「財布の落し物はありませんか?」
「どんな財布ですか?」
「黒い長めの札入れです」
「おいくつですか?」
「18歳です」
「北海学園?」
「ええ、そうです。」
脈アリだった。通っている大学を、いくら国家権力と言えど、携帯電話の番号から割り出せるはずは無い。財布の中の学生証に違いなかった。
「今から取りにこれるかな?」
さながら、男を誘う乙女のように芳醇な響きに、思えた。
「はい!すぐに行きます!」
総統もまた、さながら乙女に惑わされた狡猾な狼のようだった。
逸る足を抑えきれずに、総統は、雪のやんだ夜道へと、全力で駆け出していた。
走る最中、考えた。交番の場所は、そう。クリニックの手前だ。距離にして、およそ2キロ。
全力で走り切れる距離では、当然無かった。徐々に減速し、その場に座り込む。同時に、犬のように、大きな息を繰り返した。
「俺、こんなに体力ねぇのか・・・」
独り言を放った。その声は寒空に小さくこだました。
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