疲弊していた。
警察、いわゆる地方公務員という権力。
やはり私文書主義が根付き、何事に対しても書類を残す。
もちろん、財布などの遺失物についても例外では無い。
「財布を受け取りましたよーって書類を書いてもらうからねー」
若い警察官が、幼児をあやす時のトーンと言えば、適切だろうか。そのトーンで、僕の幼心を操る。「うんっ!」と条件反射に受け応えそうになったが、大人としての多少なりの自覚が、僕を「へい」へと導いた。
「うんっ!」よりは、良い。
自覚が足りなかったか。それとも、滑舌が至らなかったか。
不意に出る言葉にはいつも驚かされる。ニュアンスとしては「はい」に近い。けれど、やはりそこにはラテンのノリがあったのだろう。
以前にも、友人が「出口」を「乳首」と言い間違えたと聞いたが「いつもそのような事を考えているからだ。」そのような事を言った。彼もハッとしたようだった。
自分にも、やはりそうゆう所があったのかもしれない。
自分にはラテンのノリがあるのかもしれない。
大きな声では言えないが「アモーレ!」と叫びたいと思った事もしばしばあった。
そんな事を考えながら、財布の中に入っている主だった物を記載していった。そうゆう書類だった。
幸い「恥ずかしい写真 1枚」と書かせられる辱めは無かったが、人の見ている目の前で書き物をするという作業が不得手だったため、普段以上に時間を要した。
目の前と言ったが、この表現は非常に適切だ。その一連の作業を監視している若い警官の両眼から10cm先、そのくらいの至近距離で書いていたのも、時間を余分に使ってしまった要因の一つである。
途中、「そこは航海の航だよ」と、自身の名前の漢字に適切なアドバイスをされたが、無視するしか出来なかった。
一年次にコミュニケーション論を履修していれば、また違った結果に出会えたのでは無いかと今では思う。
全ての作業を終えた。拾ってくれた方に、電話ではにかみながらお礼も言えたし、若い警官からは「拾ってくれた方の、あたかたさに感謝してくださいね。」とか、決め台詞っぽいのも噛まれた。ここに到着してから、15分が経過していた。
だが、財布を見つけた喜びが未だに自分の中で猛り狂う。
交番の窓からの景色はとても綺麗で、希望に満ちているように見えた。
このドアを開ければ、きっと何かが変わっている。そう思えた。
颯爽とドアを開ける。外へ飛び出す。やはり空気がおいしい。
さっきまで降りしきっていた雪もすっかりやんでいた。
財布をしっかり抱え、軽やかなスキップを交え家路へと着く。どこか小走りになる愛嬌も忘れなかった。
小走りでも激しい息切れを忘れない愛嬌ある総統だった。
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